一定数の人々、生活は出来ているが、何かしら苦しんでいる。
だんだん、老いを感じる。
学問や権力、金銭に縁がなくてもよく生きれる人と、
気晴らしに溺れる人達がいる。
前者は、何かしら、それは文学であったり、教育であったりする。
時代を鋭く観。刃を入れる。
後者は、娯楽、酒やギャンブル、物欲に負け、転がってゆく。
では、どうしたら他によい影響を与えるか。
つまるところ、人に喜んでもらえたり、
勇気や生きる気力を湧かせてくれる人間。
そういった、生き方になるかもしれない。
一定数の人々、生活は出来ているが、何かしら苦しんでいる。
だんだん、老いを感じる。
学問や権力、金銭に縁がなくてもよく生きれる人と、
気晴らしに溺れる人達がいる。
前者は、何かしら、それは文学であったり、教育であったりする。
時代を鋭く観。刃を入れる。
後者は、娯楽、酒やギャンブル、物欲に負け、転がってゆく。
では、どうしたら他によい影響を与えるか。
つまるところ、人に喜んでもらえたり、
勇気や生きる気力を湧かせてくれる人間。
そういった、生き方になるかもしれない。
朝、6時半に目が覚め、いつもの太陽の光が緑色のカーテンから透けて入ってくる。
棚に置いてあるフェイスタオルを手に持ち洗面所へと向かう。
梅雨のなんともいえない寝汗と共に、顔にも少し汗をかいている。
そして歯を磨く。少し吐き気がするが、いつもの事だ。
きっと年齢のせいもあるだろう。
冷蔵庫からパンを出し、トースターに入れる。
コーヒーを準備し、パンが焼けたら、朝食のはじまりである。
再び、少々の吐き気と共に朝食を済ませる。
あと10分で自宅を出ないと、仕事への電車に遅れてしまう。
ここまでは良い。
毎朝の自分への問答が始まる。
「なんで行かないといけないのか?」
「どうして行かなければならないのか?」
こういった疑問が、毎日繰り返される。
いったいどれくらいの人達が思っているのだろうか。
きっと本当は別のところに行きたいのかもしれない。
しかし、それが何処なのかがわからないのだ。
もしくは、他のところに行けば幸せになれるような気がする。
それも気のせいかもしれない。
「また同じような疑問が浮かんできてしまうのではないか?」
結局、いつもの日常を終え、自宅に帰る。
「なぜここに帰ってくるのか?」
それは住所が「ここだから。」である。
夕食が終わり、一日のイライラが落ち着く19時頃、日々を振り返り、どうしたものかと考える。
「このままでは駄目だ!」「現状から抜け出さなきゃ!」
日中に思ったことが蘇り、何か大きな決断をしようとする。
「〇〇になる!」と決意し、部屋を掃除して新しい事に取り組もうとする。
いつものパターンだ。
部屋には決意の痕跡である、似たような本や道具が集まり、部屋の片隅やデスクの上に置いてある。
物は集まり、何度も決意しているはずなのに、現実は全然、というより思っているより僅かしか動いていない。そして、夜になり、布団の中で「明日からは。」と半分緊張しながら眠りにつく。
朝、目が覚めると、煙草を吸い、いつもの日常へと帰ってゆく。
もしかすると、生きていく上で
「とんでもなく大きな決意は」
現実から乖離しストレスの原因になるのではないか。そして、今の職場に落ち着く。
自分ほど、コントロールの効かない人はいないのではないか。
「これしよう。」「まあ、いいや、怠いし。」
「あれ食べたいなぁ」「ここで食後の一服がしたくなる。」
人を管理するより難しいものなのだろうか。
自分という名の牢獄の中にいる。
そして地獄とは他人のことである。
欲という名の全ても抑えることはできず、できないことをに目をやると
ストレスが溜まる。
日々できたことを
「〇〇が出来た、嬉しかった。」とシンプルに受け止めれればまだいい。
中には嫉妬、恨む心などが埋めく
人と人の関係性
寝ても覚めても人ばかり。いい加減、気持が悪くなる。
そして人間が気持ち悪く見えるようになるのではないか。
これをしよう。 何かの続きのような気がする。 あれをしたい。これをしたい。 何足もの「草鞋」を集める。 「草鞋」を履いたり、脱いだり。 少しづつ前に進んでいる。 高い理想は時には、人によっては 高いストレスを催す。 私は向いている事、得意なことをしようと思う。